太陽存在のバランス



丙火の守護神


丙火を自然界に置き換えると太陽を象徴とします。


丙火を五陽皆陽といい、もっとも陽の気が強い星です。
日干丙火は、絶えることなく湧いてくるエネルギーを、魂の内に秘めているとなります。


太陽は海の壬水をみてもっともその気を長く保ち、美しく反射することができます。


ですから、丙火は非常に強い気であるとともに、長く輝き続けさせるために、壬水の海の象徴を必要とします。
壬水があれば、強すぎる丙火のエネルギーを抑えることもできます。


そして、海の水が枯渇することなくきれいであるために、水源の庚金を必要とします。


丙火は、壬水と庚金をバランスよく持つと運勢が活性化されます丙火が癸水を見ると、強い火を抑えることはできますが、癸水は雨雲となって、太陽は雲に隠れ、輝くことはできなくなります。


丙火は太陽です。反射させることで増幅し、その役目を発揮します。


 春から夏にかけては水が重要です。
 秋から冬にかけては太陽の力が弱くなっています。
木性で木生火と太陽に力をつけてあげます。木性は午前中ですので、午前中の太陽は冬でも力強く感じます。
それでも弱い場合は「丁火」で火性の内面を強めてあげます。


(出典http://xn--ltrs4nlq4a.jp/%e7%ae%97%e5%91%bd%e5%ad%a6%e3%81%ae%e4%b8%96%e7%95%8c/%e5%ae%88%e8%ad%b7%e7%a5%9e

 

天照大神4


天照大神(あまてらすおおみかみ)ヒーリング
http://shanti-flare.ocnk.net/product/287



 

天照大神ヒーリングで教えられてたこと、
そして強化された部分は、精神部分での強化です。

感情に振り回されないように、精神を整えることの重要さ。


コーザル体の確定というのは、コーザル体は、エネルギーの精神フィールドに
分類される部分ですから、ケセリックテンプレートを新たに織り込み強化するということは
揺るぎない精神を造るということであり、
どう揺るぎないかといえば、神と自らが一体であるという意識の揺るぎなさということになります。


神と自らが一体であるという揺るぎなさに、感情の揺れが入り込む隙間はありません。


以前ジブリの「かぐや姫」について書いたことがありますが、
あの映画のラストシーンで、かぐや姫が月の使者に、羽衣をふわりと
かけられた瞬間に、すべての感情の揺らぎがさあ〜っと消え去ってしまう部分が
それに似ているかもな〜と思います。


あの羽衣が、「神御衣」に当たるように描いたのでしょうか?
あの色味からは、ケセリックテンプレート部分だけではなく、
その下のセレステアルフィールドまで入っているような気がしますが。


話が逸れてしまいましたが、とにかく精神部分を整え強くするという効果が
天照大神ヒーリングの特徴でした。


魚座エネルギー体質のわたしなどは、感情に良くも悪くも
振り回される人生を歩んできていますから、
精神部分のバランスが取れるということは、
どれだけ生きることを楽にしてくれることか、と思っているところです。


でも、このケセリックテンプレートを整えるということは、
決して容易いことではなくて、
「今まで負った痛みや苦しみ全てを光へ還す」ということに
心の底から、つまり潜在意識レベル、そう2次元下降レベルから
同意出来なければ、織り進めることが出来ません。


この部分に同意するからこそ、ケセリックテンプレートは輝くことが
可能になるのです。
美しい神御衣として。


この美しい神御衣を黄金の糸で織る天の服織女が、
最高位の神とされている日本。
わたしたちが意識するせざるに係らず、
わたしたちを保護してくれているのであろう
日本全体を包む女神の神御衣。
「美しの国、日本」。

 

火性である天照大神



コーザル体(魂の寺院)を考えるとき、
私たちは特に太陽天使の顕現のための器を扱っている。


それはコーザル体を満たす生命であり、
コーザル体を組み立て、完成し、拡大する過程にある。


このようにして、ロゴスがロゴス自身の界層で行う働きを
小さな規模で反映して行っているのである。


コーザル体の内容物は、各々の生涯ことにゆっくりと
徐々に集めた善の集積物である。
その建設は最初はゆっくりであるが、転生の終わりに向けて
(見習いの道とイニシエーションの道において)
この過程は急速に進行するようになる。
骨組みは築き終え、各々の石材はパーソナリティ生活から切り出された。
道でのこの二つの過程において、寺院を完成し美しいものにする作業は
より一層速やかに進行するようになる。


コーザル体はメンタル・エッセンスでできた外被で包まれた永久原子
(全部で三つ)の集合である。
個別化の瞬間(これはこの接触の瞬間を表現するために使われる用語である)
に、メンタル界の第三亜界で光の点が三つの原子を包み込み、
それ自体もメンタル物質の鞘で包まれるのである。


その次に行われる作業は、
1 絶えず火花を扇ぎ、火に燃料を注ぐことによって、
  その光の点を炎にする。
2 コーザル体を成長拡大させ、卵の殻のなかの卵黄のような魂を包む無色の卵形の
  ものから、虹のすべての色彩を含む妙なる美しさをもつものにする。
  これは秘教的な事実である。
  コーザル体はやがて、内的な発光と内的な炎の成長によって脈動するようになり、
  炎が徐々に中心から外周へと広がっていく。
  そして、コーザル体(苦悩と努力に満ちた幾多の生涯の産物)を
  その炎を燃料にして外周を突き破る。


(アリス・A・ベイリー「トランス・ヒマラヤ密教入門」)

信徳(土性)2

わたしにとって、一番わかりずらいのは、信徳の土性です。

わたしの命式に土性と金性の比率が低いからかもしれません。

 

この土性を地球として考えてみました。

地球は、すべてを受け入れている。

全てを受け入れるということは、信頼となります。

人は、信頼してくれる人に惹かれます。

それで、惹きつけるという力が作用するのでしょうか?

考察中です。

 

金性に対しての土性というのは、

金性を守り育む土性になる

高い志を信頼し支えるということだろう。

 

木性は守り育む気持ち(仁徳)

金性は、高い志(義徳)

火性は、思い遣り(礼徳)

 水性は謙虚に学ぶ姿勢(智徳)

 

 

自然界のバランス、五徳



算命学思想−五徳


算命学思想−五徳とは、仁・義・礼・智・信の五つの徳をいいます。


五徳とは、五行が人界、人の中で消化され、浄化され、人の行為として発動されたものを五徳といいます。


五徳は、仁・義・礼・智・信の五つが五徳です。


徳という文字は、行う(行人偏)に、省と心。を組み合わせた文字です。
省は、目の呪力を強めるために、眉に飾り付けをし、その強い呪力で、邪悪なものを祓い清めるという意味です。


徳は、その人が持っている内面から発される気を、目の力を通して、邪気を払いのける行為を意味するのが語源です。


しっかり見開いた魂の目で、四方(環境)とのバランスを取って邪気を払いのける行為。
という意味になります。

 

仁徳は、五行において木性の気が、人の中で浄化され発動された気です。
義徳は、五行において金性の気が、人の中で浄化され発動された気です。
礼徳は、五行において火性の気が、人の中で浄化され発動された気です。
智徳は、五行において水性の気が、人の中で浄化され発動された気です。
信徳は、五行において土性の気が、人の中で浄化され発動された気です。


五徳を理解する上で、その土台となっている五行を知る必要があります。
五行と人の運命、性格、気質の関連性を知る必要があります。
その結びつきを、古代の人々は自然現象の中から結びつけて(現代風にいうとシンクロしている現象として)把握しました。
これは、古代の人々の考え方です。

 

木性は、自然界で大地を守っています。

ですから、木性は守りの本能を象徴としています。


守りの反対に位置するのが、攻撃の本能です。

攻撃するには武器を持ちます。武器は金性です。

金性は攻撃の本能を象徴としています。


火性は、ロウソク、灯明、太陽、星、光、電灯、光るもの全てです。

光るものは、その存在位置を意思表示していると見ます。

火性は伝達の本能を象徴としています。


伝達の反対に位置しているのが、習得の本能です。

水は大地にしみこんでいきます。

このしみこむ状態を、習得の姿にシンクロして捉えようとしました。

水性は習得の本能を象徴としています。


土性は大地です。
この自然界はあらゆる処において、その土台となっているのは土性です。
海の底も土があります。
土性が地球の大部分を占め、中心となっています。


土性は引力、重力があります。
そこから、土性は人にあって、周りの関心を引き寄せようとする心の動きとシンクロしていると考えることができます。
土性は、引力・魅力の本能の象徴です。


(出典
http://3meigaku.com/modules/pico/index.php?content_id=76

仁徳(木性)


守りの本能は、自己防衛本能です。


この気が浄化、上昇すると、個人のレベルを超えた守りとなります。
守りの本能が、人に、他者に向けられると、人を守る行為となります。
ですから、守りの本能は、平和を作り出す原動力です。


平和、安定を作り出す根底にあるのは、守りの本能です。


組織や社会に向けられた守りが、更に高い次元に至ると、
人の生命、魂を守ろうとする行為となります。
そこには、愛情、奉仕がともないます。


この次元に至ると、見返りを求めない守りとなります。
ただ、他者の魂が安らかで、穏やかであるためには、どうしたらよいだろうか、
という、魂の奥から湧き出た行為、行動となります。


この次元に達した守りの行為を仁徳といいます。


(出典
http://3meigaku.com/modules/pico/index.php?content_id=77