天照大神3


天照大神(あまてらすおおみかみ)ヒーリング
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11次元ナディのあと、また天照大神のエネルギーについての考察が始まって、
算命学の叡智も拝借しながら、深めています。


伊勢神宮及び天照大神は、陰陽五行と深い関連をもつ祭祀と深い関わりがあります。
古代の日本において、先ず、神は太陽でした。
その太陽の神として、五徳を備えた存在として、日本国の守護の役割を与えられたのが
天照大神です。


五徳を、もう少しわかりやすい言葉で言い換えれば、

 

信徳、信頼し、信頼されること
仁徳、思い遣り深いこと
義徳、正しきことを為す力
礼徳、相手を敬う心
智徳、智恵深いこと


となるでしょう。
天照大神は、この五徳のすべてを備え、そのような徳の輝きをもって
伊勢神宮から、また各家庭の神棚から、
そして、恐らくは、高天原から、わたしたちを見守ってくれている、
そういう日本の守護神です。


それは、日本人が思い描く、神様の理想。
そして、天照大神を仰ぎ見、憧れを抱きながら、
五徳を備えることは、わたしたち日本人の目標でもある。
それでこそ、日本という国は繁栄と守護を約束される。


わたしたちを救い出すという立場や役割ではなく
高き、または清きところから、わたしたちを照らし見守るというのは、
いわゆる大乗的な役割とは、少し異なると思う。
大乗的救いを与えるのは、観音菩薩を代表とする菩薩の役割。


以前の記事で、内宮が大乗で、外宮が小乗という考え方に触れて、
それを紹介したけれど、
実は、わたしの個人的な感覚では、内宮が小乗で、外宮が大乗のように
感じているのです。


というのは、豊受姫の自分の全てを与える、
そして、それに対して相応しい見返りを得られないという行為が、
キリストのそれにとても似ていると感じていたからです。


豊受姫と同一神とも目されるオオゲツヒメ大気都比売神)は、
月読やスサノオに殺害されながら、亡骸から食物の種になる。
まさに、「一粒の麦、地に落ちなば」だからです。


それに対して、天照大神を仰ぎ見ながら、
五徳を得てゆく努力というのは、自分の努力での上昇という、
小乗にむしろ当たるのではないか?と思うのです。


でも、以前の記事で書いたように、
小乗も大乗も、両方必要なのだと思う。
いつまでも大乗に甘えているのではまたダメであり、
どこかのタイミングで、自分自身の努力もまた同時に発動させて
ゆかなければ、わたしたちは前進しているとは言えない。
けれども、小乗だけでは、自分の力を過信したり、限界を感じるだろうとも
思う。


それゆえに、小乗的なノリ?には、「選民思想」が陰に存在している。
確かに、日本人もユダヤ人と同様に、選民意識は強いほうだと思う。
それは言い換えれば、自国の神の完全さ所以であると思います。
完全な神に守られている、選ばれた民。


なんだか、話が逸れてしまいましたが、
完全な存在になろうと努力するのは、とても尊いことであり、
それは、人間の魂の本来の望みであろうと思います。


そして、五徳を備えることは、自然の中で調和し、
この地上で、災いから守られ、
豊かに平和に存在する鍵でもある。
それは、確かに「天国のエネルギーの地上の顕現」の方法なのでしょう。