智徳(水性)



水性の気は、水が大地にしみこむ状態、
人の本能に置き換えて習得の本能と、古代人は考えました。
五行における水性は、習得の本能の象徴です。


冬は日照時間が短くなり、雪が大地を覆い、水の性質が目立つ季節です。
冬は水性の気を強める季節です。
よって、冬(11月、12月、1月)生まれの人は、
冷静でクール、物事を感情的にならないで判断しようとします。


水性は習得本能の気です。
習得とは、過去に学ぶことです。
過去の知識、知恵、経験。過去の歴史に学ぶことです。


人は、なぜ、歴史を学ぶか。
それは、歴史には、人のカルマ(運命)の法則性が隠されているからです。


歴史の理解は、人間がなす行為の根底は、
どの時代も、同じ原理で動いている共通項があるからです。
そこに気が付くと、法則性を把握できるようになり、
未来を予測できるようになります。


その、最たる例に、算命学の想定法があります。
古(いにしへ)の、算命学の先達が、長い歴史の経験の積み重ねから、
人の運命の法則性を想定法という形で残してくれた、
貴重な知恵の財産があります。


算命学は、この想定法が現す法則性を悟ることで、
星を使って未来を予測し、想定法で裏付けを取ります。
算命学は、他の占術と違い、この陰陽の技法を使って未来を占います。


水性の気、習得の本能が、浄化上昇すると、
知識と経験の積み重ねが魂に蓄積され、物事の道理、真理を見ようとし、
その本質と原因、その動向、その結果を予測しようとします。


知識、知恵が、人の中で消化、昇華され、
物事の道理、本質、真理が見えるようになり、
深遠な道理を悟りうる優れた才知となった知恵を、
智徳といいます。


(出典
http://3meigaku.com/modules/pico/index.php?content_id=80

義徳(金性)



金性の気は、攻撃の本能です。


秋は金性が強い季節です。
秋は自然界の植物は枯葉を落とします。秋は必要な養分だけが植物に残ります。
このような状態を自然淘汰の気が働いていると見ます。
秋は自然淘汰の気が強い季節です。


金性は自然淘汰の気です。
この気が浄化、上昇すると、必要なものと不必要なものの淘汰がなされます。


自分の中の攻撃本能が淘汰されると、人に向かう闘争、葛藤から
、自分を磨く前進力、行動力となります。
周りに対しては、必要なものだけを残すための目的を提示するようになります。
ですから、攻撃の本能は、目的、目標へ導く原動力です。


人間の魂の成長に必要なものと、不必要なものを見分け、
人類の成長にとって必要なものを残すための行動、行為が義徳となります。


義徳は目的に向かうための理由が求められます。
ですから、義を見てせざるは、勇なきなり。といわれる所以です。


淘汰するためには納得させる理由が必要です。
義徳は、正義という言葉がよく使われる所以です。


(出典
http://3meigaku.com/modules/pico/index.php?content_id=78

礼徳(火性)



算命学思想−五徳の礼徳


五徳とは、木・火・土・金・水の五行が表す、
人間が持つ五つの本能、五行の本能が、
人の、この世における役目の中で消化され、
役目を通して浄化された気の積み重ねが、
魂の奥からわき上がる、邪気を払いのける想いにまで至った五種類の行為、行動を五徳といいます。


五徳には、仁徳・義徳・礼徳・智徳・信徳の五つがあります。


仁徳は、五行において木性、守りの本能の気が、
人の中で浄化され発動された気と行為です。
義徳は、五行において金性、攻撃の本能の気が、
人の中で浄化され発動された気と行為です。
礼徳は、五行において火性、伝達の本能の気が、
人の中で浄化され発動された気と行為です。
智徳は、五行において水性、習得の本能の気が、
人の中で浄化され発動された気と行為です。
信徳は、五行において土性、魅力の本能の気が、
人の中で浄化され発動された気と行為です。

 

火性の気は、伝達の本能です。夏は日照時間が長くなり、温度は上昇します。


夏は火性の気が強い季節です。
夏生まれ(5月、6月)の人は、伝達本能強く、
明るく、人に目立つようにふるまう傾向があります。


火性は伝達本能の気です。この気が浄化、上昇すると、
人にスムースに意志、伝達が伝わる行為を取ることができます。


伝達がスムースに伝えることができるのは、礼儀礼節が備わった行為です。
儀礼節の根底にあるのは、相手に対する尊敬の念です。
相手の存在を認め、相手の魂、生命に対する尊厳、畏敬(いけい)の念です。


地鎮祭、宗教儀式、茶道などの儀式は、
神霊、あるいは対面する相手に、
尊敬の念を持って意志を伝える行為ということになります。


学ぶ行為は、真似る行為から始まると言われます。
儀式は、真似る行為から始まり、やがて、
対面する存在に対する畏敬、尊敬の念を抱いて意思表示をするためである。
ということであります。


ですから、伝達の本能は、尊敬、畏敬の念を養う手段です。


古代において徳の備わった行為は、邪気を払う力があるとされていました。
礼徳のある人の宗教行事における儀式は、
その趣旨に、邪気を払いのける行為、という意味が加わり、
邪気を払いのける力があります。


(出典
http://3meigaku.com/modules/pico/index.php?content_id=79

 

信徳(土性)



土性の気は、大地、地球が持つ引力、重力の自然現象を、
人の本能に置き換えて引力の本能とし、
人に注目されたいと欲する本能と古代人は考えました。
五行における土性は、引力の本能の象徴です。


引力の本能は周りの気を引きよせる気です。


人が引力の本能に翻弄されると、物や食べ物に執着し、
出しおしみと、人の恨み、怨念を引き寄せ、
因縁を集める気となります。


土性の気が不浄のままであると、執着が強くなり、
物事を正しく判断できなくなります。
人に注目されようと情に流され、人にだまされやすくなります。


有形の形ある世界の気を引き寄せる時、
物、財を集め、収集、蓄財、
あるいは、財の運用の気となります。


無形の形なき世界の気を引き寄せる時、
人気、愛情、魅力となります。
人の心を引き寄せるので、土性の引力は、魅力の本能です。


この土性の本能が浄化され、人の中で発動される時、信徳となります。


信徳は、他の仁徳、義徳、礼徳、智徳と違って、
土性の本能自体を人の中で浄化することはできません。


土性の浄化方法、信徳の発動は、
他の仁徳、義徳、礼徳、智徳が発動するようになることで、
信徳が備わるようになります。
あるいは、仁徳、義徳、礼徳、智徳が備わった行為が、信徳となります。


信徳は、正邪を正しく判断して邪気を淘汰する行動力の義徳と、
その為に、自分が生きる世界の摂理を正しく把握する智徳を持ち、
生ある魂達が安らかであるように守ってあげようとする仁徳をともない、
有形(現実)にも、無形(精神界、霊的世界)にも、
尊敬の念をともなって意思伝達をする行為の礼徳が実行できる徳が備わると、
信徳が発動されるようになります。


信徳は、周囲の浄化された気を引き寄せて周りから助けられるようになります。
困った時に救いの神が現れる徳の持ち主といわれます。


有形の世界では、信徳ある人のために周囲の人が動いてくれるようになります。
無形の世界では、信徳ある人を守護する霊的存在があります。


このような信徳が備わると、魂の次元上昇が生じます。


信徳は、周囲の気を集め、その気を上昇気流の如く上昇させることにあります。
周囲の人々を含めて、有形、無形にわたって浄化された気の世界へ導く存在、
それが、信徳ある行為となります。

これを算命学では霊等の上昇といいます。


霊等には次元があり、次元の上昇に応じて、
隆、参、伯、充、芬という、魂の位を表す名前があります。


(出典
http://3meigaku.com/modules/pico/index.php?content_id=81

天照大神3


天照大神(あまてらすおおみかみ)ヒーリング
http://shanti-flare.ocnk.net/product/287


11次元ナディのあと、また天照大神のエネルギーについての考察が始まって、
算命学の叡智も拝借しながら、深めています。


伊勢神宮及び天照大神は、陰陽五行と深い関連をもつ祭祀と深い関わりがあります。
古代の日本において、先ず、神は太陽でした。
その太陽の神として、五徳を備えた存在として、日本国の守護の役割を与えられたのが
天照大神です。


五徳を、もう少しわかりやすい言葉で言い換えれば、

 

信徳、信頼し、信頼されること
仁徳、思い遣り深いこと
義徳、正しきことを為す力
礼徳、相手を敬う心
智徳、智恵深いこと


となるでしょう。
天照大神は、この五徳のすべてを備え、そのような徳の輝きをもって
伊勢神宮から、また各家庭の神棚から、
そして、恐らくは、高天原から、わたしたちを見守ってくれている、
そういう日本の守護神です。


それは、日本人が思い描く、神様の理想。
そして、天照大神を仰ぎ見、憧れを抱きながら、
五徳を備えることは、わたしたち日本人の目標でもある。
それでこそ、日本という国は繁栄と守護を約束される。


わたしたちを救い出すという立場や役割ではなく
高き、または清きところから、わたしたちを照らし見守るというのは、
いわゆる大乗的な役割とは、少し異なると思う。
大乗的救いを与えるのは、観音菩薩を代表とする菩薩の役割。


以前の記事で、内宮が大乗で、外宮が小乗という考え方に触れて、
それを紹介したけれど、
実は、わたしの個人的な感覚では、内宮が小乗で、外宮が大乗のように
感じているのです。


というのは、豊受姫の自分の全てを与える、
そして、それに対して相応しい見返りを得られないという行為が、
キリストのそれにとても似ていると感じていたからです。


豊受姫と同一神とも目されるオオゲツヒメ大気都比売神)は、
月読やスサノオに殺害されながら、亡骸から食物の種になる。
まさに、「一粒の麦、地に落ちなば」だからです。


それに対して、天照大神を仰ぎ見ながら、
五徳を得てゆく努力というのは、自分の努力での上昇という、
小乗にむしろ当たるのではないか?と思うのです。


でも、以前の記事で書いたように、
小乗も大乗も、両方必要なのだと思う。
いつまでも大乗に甘えているのではまたダメであり、
どこかのタイミングで、自分自身の努力もまた同時に発動させて
ゆかなければ、わたしたちは前進しているとは言えない。
けれども、小乗だけでは、自分の力を過信したり、限界を感じるだろうとも
思う。


それゆえに、小乗的なノリ?には、「選民思想」が陰に存在している。
確かに、日本人もユダヤ人と同様に、選民意識は強いほうだと思う。
それは言い換えれば、自国の神の完全さ所以であると思います。
完全な神に守られている、選ばれた民。


なんだか、話が逸れてしまいましたが、
完全な存在になろうと努力するのは、とても尊いことであり、
それは、人間の魂の本来の望みであろうと思います。


そして、五徳を備えることは、自然の中で調和し、
この地上で、災いから守られ、
豊かに平和に存在する鍵でもある。
それは、確かに「天国のエネルギーの地上の顕現」の方法なのでしょう。

 

五徳における信徳(ケセリックテンプレート)


天照大神(あまてらすおおみかみ)
http://shanti-flare.ocnk.net/product/287


今回の開催の準備で、前回の天照大神ヒーリング受け取り中に出てきていた、ケセリックテンプレートを織り直し、自分を完成させるとは?という疑問の答えが得られてきているように感じています。
その一つの答えが、「五徳」なのでしょう。


信徳は、有形の形ある世界の気を引き寄せる時、物、財を集め、収集、蓄財、あるいは、財の運用の気となります。

 

無形の形なき世界の気を引き寄せる時、人気、愛情、魅力となります。人の心を引き寄せるので、土性の引力は、魅力の本能です。

この土性の本能が浄化され、人の中で発動される時、信徳となります。

 

信徳は、他の仁徳、義徳、礼徳、智徳と違って、土性の本能自体を人の中で浄化することはできません。

 

土性の浄化方法、信徳の発動は、他の仁徳、義徳、礼徳、智徳が発動するようになることで、信徳が備わるようになります。

あるいは、仁徳、義徳、礼徳、智徳が備わった行為が、信徳となります。

 

信徳は、

正邪を正しく判断して邪気を淘汰する行動力の義徳と、

その為に、自分が生きる世界の摂理を正しく把握する智徳を持ち、

生ある魂達が安らかであるように守ってあげようとする仁徳をともない、

有形(現実)にも、無形(精神界、霊的世界)にも、尊敬の念をともなって意思伝達をする行為の礼徳が実行できる徳が備わると、

信徳が発動されるようになります。

 

信徳は、周囲の浄化された気を引き寄せて周りから助けられるようになります。

困った時に救いの神が現れる徳の持ち主といわれます。

有形の世界では、

信徳ある人のために周囲の人が動いてくれるようになります。

無形の世界では、

信徳ある人を守護する霊的存在があります。

 

このような信徳が備わると、魂の次元上昇が生じます。

 

信徳は、周囲の気を集め、

その気を上昇気流の如く上昇させることにあります。

周囲の人々を含めて、有形、無形にわたって

浄化された気の世界へ導く存在、

それが、信徳ある行為となります。

 

これを算命学では霊等の上昇といいます。

(出典http://3meigaku.com/modules/pico/index.php?content_id=81

 

ケセリックテンプレート


天照大神(あまてらすおおみかみ)ヒーリング


天照大神は、神御衣(かむみそ、または、かんみそ)を織る女神であるとされています。


日本書記には、稚日女尊(わかひるめのみこと)が、高天原の斎服殿で、
神御衣を織っていたとき、
それを見たスサノオが馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込み、
それによって、稚日女尊は驚いて機から落ち、
持っていた梭(ひ)で身体を傷つけて亡くなり、
それを知った天照大神は天岩戸に隠れてしまったと記されています。


これらは、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、
ケセリックテンプレートと呼ばれるオーラ第七層を織る(扱える)レベルの神霊と
捉えられていることの隠喩ではないかと思われます。
それは、霊的にとても大きな役割です。


すなわち、天照大神の神御衣(かむみそ)とは、オーラ第七層のケセリックテンプレートに
匹敵するものであると理解することが可能であるように思われます。


第七層は、ケセリック・テンプレートと呼ばれる聖霊界の精神レベルである。
肉体から約75センチから105センチのところまで伸びている。オーラの第七層に意識を集中すると、私たちが創造主と一つであることがわかる。

外見はオーラボディの卵型で、個人がいま歩んでいる一生に関わるすべてのオーラボディを包括している。

 

このボディもまた非常に構造的なテンプレートである。私の目には、オーラの全体の形状をつなぎ止めるとても強い耐久力をもつ、金銀の小さな光の糸でできているように見える。それは、物質的肉体とすべてのチャクラの金色のグリッド構造を持っている。

 

(バーバラ・アンブレナン「光の手」)

 

第七層の波長レベルに意識のチューニングを合わせると、美しくきらめく黄金の光を認めることができる。

 

あまりにも速い波動のために「きらめき」という表現しか思い浮かばない。

 

まるで何千もの黄金の糸のようだ。

黄金の卵型は、人によって肉体から約90センチから105センチのところに位置している。とても精力的な人なら、さらに広がる。

 

外側のエッジは、実際卵の殻のように見える。

厚みは、約6ミリから13ミリぐらいある。

 

第七層の外側の部分は、非常に強く弾力があり、侵入を妨害して殻がヒナを守るようにフィールドを保護している。

 

第七層ではすべてのチャクラとボディの形態が黄金の光でできているようだ。オーラ界のなかでもっとも強く、もっとも弾力のある層である。

 

(バーバラ・アンブレナン「光の手」)